上郡山仲為と小田原参陣(工事中)

 天正十八(1590)年、関白秀吉のたび重なる命に、伊達政宗はついに小田原へ参陣。蘆名氏を滅ぼし、奥州の覇者となっていた政宗は黒川城(鶴ヶ城)にいた。そこへ上洛を迫る関白秀吉の使者が現われる。「独眼龍政宗」第二十話でも取り上げられたシーン。京からの使者は上郡山仲為(かみこおりやまなかため)。この人物、実は中津川丹波守源兵衛の子。

 中津川丹波守は、政宗の小田原参陣を先導し、同行した。それは、参陣中に田村氏家臣とやり取りした書状に記されており、伊達家文書にもその記述がある。
 そこから、中津川丹波守は朝鮮出兵にまで従軍し、気づくと中津川郷の有力地頭に成り上がっていたのだ。